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15才の頃

あたえられた常識の一切を否定し

わたしだけの常識をひとつづつ

創っていこうと考えた

 

ずーっと

創りつづけているけれど

まだ終わらない

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わたしは死ぬために生まれた。

いま71歳。日々激しく酸化する。

だが大切な人たちの役にたちたい。

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文を書くことは自分を知ること、自己認識の方法論である、と思っている。読み直すたびに考えの足りなさに気付く。何回でも読み直す。1時間経ってから読み直す。2時間経ってから読み直す。翌日読み直す。百回以上読み直していたりする。

文章を読むとその人の考えの深さとか足りなさに気付く。モーツァルトのように美しいリズムの文章と、リズムが壊れている文章がある。

岩手県立宮古高校の先生のこと

高校1年の時、東大卒の鈴木勝という教頭先生がいた。

東大はつまらない大学だったけれど、唯一良かったことは家内と知り合えたことだ、と言っていた。ガリ勉して1番になるのは偉くない。誰よりも勉強しないで1番になるのが1番偉い、とも言っていた。面白いことを言う先生だと思った。古文を担当していたけれど、普通科200人のなかで成績はほとんど200番のわたしばかりを、何故かいつも指すのだった。数学のテスト上位50人は廊下に張り出されるのだが、そのつど、佐々木くんまた名前が載ってないね、というのだった。しょうがないので、1度だけサービスをして1番をとった。

2年後彼が入院した。カルピスを買って見舞いに行った。佐々木くんは眠れる獅子だと思っていたが、眠れる豚だったね、と言われた。

 

伊藤吾郎という代数の先生がいた。修学旅行の汽車のなかで将棋大会が始まり、伊藤先生がわたしに負けると悔しそうな顔をして、Aくんとはしたか、負けたろう?と言った。勝ちましたよ、とわたしは言った。Aくんの代数の成績が学年で1番なのだと思った。どんな知能の低い生徒でも、勉強すれば1番をとれるということを知らない、知能の低い先生なのだと思った。

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パフェットの言葉

殆どにノーを言うことが、

今の自分を築いてきた。