新着情報

<詩の中にめざめる日本、真壁仁著 1967.1.10購入>より

20才の時に出会った わたしの好きな詩

 

二つの森 長尾 登

 

一つの川を挾んで

二つの森が向合うように

一つの家の中の

二つの魂はさびしい

 

雪の降りつもる日

相手の森の遠い日の秘密に

じっと心を凝らす

二つの魂のかなしい習癖

 

疑うことによってたがいの距離を測り

憎むことによってたがいの存在を確め合う

一つの川を挾んだ

二つの森

 

山鳩が鳴く

たがいの森から啼く

心でなければ解し得ぬ

言葉の原型で啼く

心をもってしても解し得ぬ

たがいの森の魂で啼く

 

愛の訴えが

虚しい木霊となって消える

一つの川を挾んだ

二つの森

*河村正敏先生のこと

学生の頃、わたしの詩の同人誌に、批評文を書いて頂いた先生がいる。

その頃先生に紹介された歌を、今でも3首程覚えている。

先生の知人が作られたとの事。

湖(うみ)に来て、

氷の裂ける音やまず

首ほそくして

抱かれん夜は

凍りつく

祈りも風に

千切られて

我の裸身が

空を飛びゆく

かなしみに

近づく群の

ひとりゆえ

我も廻せり

空の車輪を

2本の木から

「同じパンから食べてはいけない」と書いてある詩があります。つまり、銘々が違う生き物であることを忘れてはいけないということです。「木は2本くっついて生き長らえることはできない。離れているから日を浴びることができる。」そういう詩です。ちゃんとお互いが太陽の陽を浴びるには離れてないといけない。それがなくなれば、2本の木は死ぬんですね。

詩はだから、何の理由もなく本質を予言するんですね。昔の詩人は予言者だったし、予言をする人が詩人だった。やっぱり、愛は仲良くすることではないし、優しい言葉をかけることでもないし。愛も善悪よりは定義し易いですね。

私は子供以外に愛してる、と言ったことはないんです。愛するってなんだろうと、考えたことがあるでしょう?会社の人、後輩によく言いますけれど、やっぱり私が思うには、「○○を愛するって何だろう」という悩む必要性を感じない人は寂しいですよね。「なぜ僕は会社に来ているのだろう」ということを、一度も悩んだことがない人がいれば、それもとても悲しい話です。

そういうことは、私もまだ答えが出ていない。出ていなくても、例えばレストランに行くでしょ、若い頃はよく席を選んだ。どこかの席に座るわけです。その店から出ない限りは。

個人的な理由

僕が好きな詩の一節に「取れたボタンの一つにも個人的な理由がある」というものがあります。鮎川信夫という人が書いたのですが、とても大好きで。この前の話ですが、恐らくビルの担当者が漠然とした注文を出したのには個人的な理由があって、それを鵜呑みにした設計者にも個人的な理由があるわけですね。(笑)

個人的な理由を生産に結びつけるにはパワーが必要です。パワーは生産性を上げ、あるいは生産性の上がらない個人的な理由を切り捨てることにより、生産に結びつけるわけです。

同人誌のはなし

高校のときには初めて自分の詩集を自費出版しましたが、それは損をしました。(笑) 大学に入ってからは、同人誌で20冊くらい出しました。それは1度も損をしたことがない。私だけじゃないかな。みんな損をしていますよ。私は広告を取って、それで印刷代を全部出して。大学5年目のときには、広告が載っていない詩集を最後に一度だそうかと思って、年に4回出して。それは売るだけで回収しました。学校でみんなに買わせる、押し付けるの。(笑)

一番儲かったのは私が19歳のときに出した本でした。500部刷ったのですが、印刷代が町の印刷屋で5~60,000円でしたが、刑務所に持って行くと3分の1くらいで作ってくれる。だから甲府の刑務所に行ってね。(笑) 当時、学生の仕送りが平均すると12,000円くらいでした。学食が35円とかね。活版で表紙は2色、「麓」という字を黒のベタで一面にビシっと印刷して、背景を赤にして。それは印刷代が20,000円かかってないくらいかな。広告をとったら印刷代の1.2倍くらい。それで1冊50円で全部売りました、25,000円。儲かった。(笑) 仕送り2ヶ月分です。

 大学時代に付き合っていたのは、小説や詩、俳句を書いているような文芸部の連中と学生運動をやっていた過激な連中と、あとは演劇をやっているような連中と付き合っていました。柔道部の部長で体育会の会長をやっていた奴も、私の詩の会に入っていたりしました。19歳くらいの時に詩の会をつくって、2,30人くらい人が集まりました。そこで同人誌を出していたんですね。詩を書いて、みんなで批評しあう、詩集を出すといったことをしていました。

 同人誌というのは、全国にいっぱいありました。私も高校の頃、岩手の私の街に1つだけ同人誌があって、それは詩も評論も小説も全部集まったような同人誌で、自分の書いた原稿を出すと載せてくれるわけです。会費をとられるけれど。同人誌の運営方針によって違いますが、同人は自分の書いたものは基本的に載せてもらえます。同人は無審査で載るけれども会員は同人が審査して載せるというように、同人と会員と分けているかたちであるとか、いろいろあります。

 そんな風にして、詩を出して批評して、という活動をしていました。

 私が学生の頃は吉本隆明さんが人気でした。この辺り、佃か月島辺りに住んでいたんじゃないでしょうか。当時の文芸評論家というと、吉本隆明と江藤淳が人気がありました。江藤淳の短い評論集で『母の成熟と崩壊』という3,40ページ程度のものがあるのですが、おもしろいですよ。30分くらいあれば読めてしまいます。ある教授の勧めで読んでみました。

 その教授は授業中に私の詩を褒めたんですね。一見、褒めた。でもよく聞いてみると、そうじゃないんですね。それでその人に時々見せに行ったり、批評を書いてもらいました。その人は近代文学専攻でした。彼の授業だけは真面目に出ました。(笑)