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3-3. ミース・ファン・デル・ローエ (4)

図3-3-4:ベルリン新国立ギャラリー

図3-3-4:ベルリン新国立ギャラリー

ここまで写真に出した4つの建物の用途はそれぞれ住宅、博覧会展示場、大学ホール、美術館です。そのいずれにも共通することが、建築としては構造を成立させるための最低限の柱と壁しかなく、ほぼガランドウのガラス張りの箱であるということです。これはまさに「近代5原則」で謳われた「自由な立面」の1つのあり方であり、当時の構造技術の発展の賜物です。下図にIITクラウンホールの地上階の図面を例として挙げますが、構造としては四角いガラスの箱の外周周りに柱があるのと、真中あたりに幾つかの壁があるだけです。

図3-3-5:IITクラウンホール・プラン

図3-3-5:IITクラウンホール・プラン

とても大雑把な話をすれば、規模は違えどこれと似た様なプランがその他の建築物にも展開されています。つまり、ビルディングタイプとしての用途的な対応は建物ではなくて、2次的な設えや家具で対応すれば良いではないか、建物は無限定な空間(indefined space)を用意して、機能的な多様性を担保しよう、というコンセプトです。住宅であろうと大学ホールであろうと、そうした時には建築はただのガラスの箱であるということです。
実際には先に例として挙げたガラス張りのファンズワース邸に一般的な感覚で住むのはかなり難しいでしょうし、ベルリン新国立ギャラリーも実は地下に部屋に区切られた展示室が詰まっています。とはいえ、ここで重要なのは彼が掲げていたコンセプトだということです。

3-3. ミース・ファン・デル・ローエ (3)

モダニズムの偉大な建築家の1つの特徴かも知れませんが、彼らは理念を一言で表した言葉を残していることがよくあります。サリヴァンで言えば「形態は機能に従う」であり、アドルフ・ロースであれば「装飾は罪悪」といった例があります。ミースの場合には、”Less is More”(より少ないことは、より多いことである。)や”God is in the details”(ディティールに神が宿る)といった言葉で、また彼の建築の特徴を端的に示す言葉としては”Universal Space”(ユニバーサル・スペース)があります。
この「ユニバーサル・スペース」が現代のオフィス空間の起源としてキーとなる概念だと思います。そもそもミース自身がこの言葉を発したかは定かではないのですが、ビルディングタイプに関わらず彼の作品に共通する空間性を表現した言葉です。というよりも、ビルディングタイプという括りを克服しようとした概念と言っても良いでしょう。どういうことか彼の作品とともにみてみます。

図3-3-3:イリノイ工科大学(IIT)クラウンホール

図3-3-3:イリノイ工科大学(IIT)クラウンホール

3-3. ミース・ファン・デル・ローエ (2)

タイトルに挙げている、ミース・ファン・デル・ローエ(以下、ミース)がこのイメージの鍵を握っていると考えられます。
ミースは1886年にドイツで生まれています。モダニズムを代表する建築家として有名な彼も、キャリアの当初はいくつかの住宅の設計において19世紀初頭にみられたドイツの土着的なデザインやシンケルを参照したシンプルなキューブで構成した形態などを試みていました。第一次大戦後もそのような伝統的なデザインを続けていましたが、それと同時に実験的な試みも始めていたとのことです。それが開花したのが1930年のチューゲントハット邸であり、1929年のバルセロナ・パヴィリオンだったと言えます。

図3-3-1:チューゲントハット邸

図3-3-1:チューゲントハット邸

図3-3-2:バルセロナ・パヴィリオン

図3-3-2:バルセロナ・パヴィリオン

同じ時期にル・コルビュジェが「近代5原則」ということを提示していましたが、その中の「自由な平面」や「自由な立面」というものは、組積造の構造から鉄筋コンクリート造や鉄骨造への技術的な進歩が前提となっています。組積造、つまり石を積んで壁を立ててからその間を木造の梁を渡すといったやり方から、柱と梁で建物を固めていくラーメン構造が、旧来の重い壁を解放しました。

3-3. ミース・ファン・デル・ローエ (1)

3. 近代以降のオフィスビル

個人的な話になりますが、筆者が20代前半にパリの建築学校に留学した時に、それに先駆けて地方の語学学校に集中講座に通いました。その都市に着いてすぐに学校への登録をするために「学校内の○○事務所に行きなさい」と指示され、向かった先は小さな個室が並んでいる事務所だった、そんな瑣末なことが印象に残っていて未だに記憶しています。本当に事務的な手続きで、決してエラい人に会いに行ったわけではなかったのですが、いわゆるヒラの事務員さんが個室があてがわれて仕事をされていました。
大したことのない話なのですが、それまでの僕は実際に会社で働いたことはなく、何となくオフィスのイメージと言えば天井高が低く、だだっ広い部屋に机が並んでいて、エラい人には役員室があてがわれているというイメージだったので、そのときは空間のイメージのギャップのせいで強い印象があったのでしょう。
恐らく、これは僕の個人的なオフィスのイメージというよりも誰もが抱いている共通のものだと思いますが、その出自を探ってみたいと思います。

4-2. 自動ドア (5)

このように「扉」は建築物において、「外」と「内」の関係をもたらす建築の本質的な意味を包含する部位です。そこで建物のエントランスに自動ドアを使うということはどういうことなのでしょうか?
扉について、日本と西洋の比較をしてみると1点、大きな差があるのは、日本では引き戸が頻繁に使われることに対して、西洋では引き戸はあまり見られず軸回転系のドア(開き扉など)が殆どであることです。これは伝統的に環境を制御することについて、西欧では冬が厳しいので気密性能が高い回転の扉が適しているのに対して、日本では夏の風通しを基にして建物が考えられていたので、回転系でばたつくものよりも、何スパンにも渡って大きく開放することができる引き戸が適していたためだと考えられます。よく言われていることですが、そういうこともあって日本の建築の「内」と「外」の関係が連続的だと言われているのだと思います。
そこに日本では自動ドアがかなり普及していて、ヨーロッパではそうではないということの理解の鍵があるように思われます。つまり自動で扉が開くということは、人がアクションを起こすまでもなく「内」と「外」が繋がるということなので、身体的にもその境界を曖昧にするということに繋がります。即ち、伝統的な日本の建築(空間)のあり方との意外な親和性があるのではないでしょうか。
オフィスビルも含めて現代的な建物の中にも日本では、日本で培ってきた文化が意外なところで内包されているものです。ちょっと変な感じはしますが、自動ドアも日本の空間の文化性の延長上にあると面白いものです。