3-3. ミース・ファン・デル・ローエ (2)

タイトルに挙げている、ミース・ファン・デル・ローエ(以下、ミース)がこのイメージの鍵を握っていると考えられます。
ミースは1886年にドイツで生まれています。モダニズムを代表する建築家として有名な彼も、キャリアの当初はいくつかの住宅の設計において19世紀初頭にみられたドイツの土着的なデザインやシンケルを参照したシンプルなキューブで構成した形態などを試みていました。第一次大戦後もそのような伝統的なデザインを続けていましたが、それと同時に実験的な試みも始めていたとのことです。それが開花したのが1930年のチューゲントハット邸であり、1929年のバルセロナ・パヴィリオンだったと言えます。

図3-3-1:チューゲントハット邸

図3-3-1:チューゲントハット邸

図3-3-2:バルセロナ・パヴィリオン

図3-3-2:バルセロナ・パヴィリオン

同じ時期にル・コルビュジェが「近代5原則」ということを提示していましたが、その中の「自由な平面」や「自由な立面」というものは、組積造の構造から鉄筋コンクリート造や鉄骨造への技術的な進歩が前提となっています。組積造、つまり石を積んで壁を立ててからその間を木造の梁を渡すといったやり方から、柱と梁で建物を固めていくラーメン構造が、旧来の重い壁を解放しました。

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