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“行為と発言の責任”

組織あるいは誰かに主体性を期待し空想することは愚かだ。言うのであれば、自分がその可能性を実践するというべきである。

分科一類法学部卒国家公務員キャリア組かもしれない大蔵省の若き課長たちと酒を呑んだことがある。大蔵省が批判されているが自分たちにはどうにもならない、と言う。自分という主体は、何処にあるのか。貶されて泥棒猫のように一生月給泥棒をするつもりなのだろうか。キャリア組の真似をする必要は無い。

行為と発言には責任があると言ったら会議で発言する社員が居なくなったという笑い話がある。萎縮しないような運営が必要であると無知蒙昧無能無責任な評論家が言うけれども、そのような社員が多い会社に社会的存在理由は無い。単に評論家である大前研一に経営者としてのすぐれた才能がないのは自明の理である。

内部に評論家はいらない。必要なのは、自分ひとりのみで問題解決の責任を負おうとする主体である。隗より始めよである。評論と結果責任との違いが理解できない内部者は1円の価値もない。

深く考えることが持続しない体質と深く考えつづけなければ不愉快になる体質とがある。体質は本質的生きかたの選択である。あなたは論理が正しいからその判断をしているのではなく、生きかたとして都合のよさそうな判断の方法を選んでいるだけだ。物心ついたころからの生きるための習性である。すこし考えれば馬脚があらわれる論理であり15歳の選択でもある。そういう生き方しか出来ないのだ。

誤ちを自覚できない。誤ち率50%未満は誤ちのうちに入らない許容範囲だくらいの知能しか持たない。クビになりかかっても気がつかない。何度でも繰り返す。総括できない知能なのだ。息子ならどう対応するだろうかと考えた。激しく諦めてしまうのかもしれない。

“生存率0.3%”

日経ビジネスによれば起業20年後生存率は0.3%である。99.7%が起業に失敗したということになる。併し、99.7%が存在するのは概念のなかだけであり世間の何処かに落っこちているわけではない、存在するのは個人的な理由による失敗のみである。

“取れたボタン”

東大在学中司法試験に合格した才能ある若い弁護士が、中小不動産会社の社長に尋ねた。何故彼は東大経済学部新卒で御社に入社したのですか。東大卒が就職先として選ばないはずの企業という東大卒らしい質問である。

 取れたボタンの一つにだって
 個人的な理由があるのだ
         (鮎川信夫)

短絡思考

設計業務の売上額が全国50位くらいになった事がある。設計の責任者に設計の検討不足を指摘したところ、自分は10分考えても100時間考えても結果は変わらないと答えた。それからは年収を上げなかった。北海道出身の若い建築士だった。おかあさんは何回も自殺未遂を繰り返しついに電車に飛び込んでしまった。六mの前面道路を八mとして実施設計を完了させ申請をだした案件があった。呆れた。似ている人をひとり知っている。

謙虚

賢いかもしれないひとと
賢くないひとがいる
にしゅるいしかいない

こんな謙虚な人もいるんだ
とびっくりするひとが稀にいる
謙虚なあいだはまちがわない
賢いかもしれないとおもう

謙虚でなくなったりするとがっかりし
賢くないひとにぶんるいする

自分はどちらのぶんるいだろう
謙虚になれるだろうか

恥ずかしいおもいをしないため
軽蔑されないために