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議論について

優れた議論はメンバーの双方が自らの見解を止揚できる能力を必要とする。

極めて稀であり殆ど見たことがない。

議題に対して優れた結論を得るには議論というよりはむしろメンバーの夫々が自己の見解を昇華させられているかに左右される。

優れた議論以外は例外なく時間の無駄である。

自分について

自分の意識をシニカルに観ることのできない人は本質的に哀しい。

自分を好きだったのだろうか
嫌いだったのだろうか
子どもの頃から
他の多くの人より
自分を嫌いではなかった
自分をいつも庇っていた
自分が期待するほど
自分は才能がないかもしれない
自信を捨てないかぎり
ついてくる不安

何処からきたのか
何処へいくのか
いまは自分を
好きなのだろうか

ねばならないという考え

ねばならないという考えかたがわたしは強い。長男だからなのかフルコミ営業職につきすぐリーダーを指名されたからなのか26才から社長をしたからなのか。考えかたを押しつけることも共有することも不可能なのだけれど、可能性の幻想の微細な欠けらが時にわたしを占領する。
遺伝子も生立ちも既に太古から定められた無知蒙昧、思考論理も幼稚をきわめ、恐れげもなくわたしに逆らう。遂にわたしは白顔となる。

プライドと謙虚と知性

わたしは誰にもプライドのけぶりも言葉も発したことはない。他人に発するプライドを所有するほど知性の欠落した脳みそを所有できなかったからだ。

わたしにもプライドがあるとか科学者だからそんなことはしないとか、優れた科学者はひと言も言わない。優れた科学者ほど自分の能力の足りなさをつねに痛感しているからだ。
50年生きても60年生きても70年生きても謙虚という言語のかけらも体現できない人がいる。
23才から変わらない人もいる。
社会的に評価された人に多く、されない人にも多い。偏差値の高い人に殊に多いように感じるけれど、医師は明らかに多いと思う。医師自身がそう言っている。

発達障害

人はみな発達障害なのではないだろうか。どんな人も、自分は大人の発達障害だと思った方が良いかもしれない。自分の何処が発達障害なのかを考えてみる。病気は恥ずかしくないから、病気だとおもえれば気が楽になり、冷静に自分の病気に向きあえるようになる。自分の病気を知ると幸せになれる、とおもう。