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良い会社とは

誰からか

与えられるもの

ではなく

何処かにある

ものでもなく

 

かたちは

堕落するから

社員みずからが

ある種の言動を発信する会社

のことである

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自分の問題と捉えている人もいるけれど、大半が、自分の会社でないかのように自分の問題として捉えず、会社一般の問題として捉えている。

こういう捉え方は、救い難く、失格です。

まず、自分自身の直接の職務に関してどうなのだろうと考えるべきです。次に間接的に係わる他の部署の不完全な仕事に対する自身の態度について論ずべきです。

全ての問題は、自分自身の責任の有無、能力の有無に帰結します。全てを、自分だけの問題もしくは責任として捉えることが常識です。常識の欠落は醜というべきです。

全てを自分だけの責任と捉えるところからスタートします。それが人として信頼を維持される基礎的絶対条件です。大黒さんとわたしはそういうところで47年間やってこられたのだと思います。

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大切なことは、

専門的な知識ではなく、

常識です。

常識から見て、

専門的な知識が、

まともなのか、

狂っているのか、

の判断が大切です。

 

言い訳は、

結果が思わしくない時の言葉です。

言い訳を発見できる人は、

ハナカラ無能、

というべきです。

 

自分に、

どんなに厳しくむきあっても、

損はしない、

と思います。

 

破滅する遺伝子の多い人がいる。

本人がどう思っているのかは解らない。

決まって破滅する道を選ぶ。

何もする必要は無いのかもしれないけれど、

何も出来ない。

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営業ができるということは、

かつて会社で1番だった、

ということではない。

フルコミッションで、

給料が社内で1番だったとか、

他の社員の10から15倍の年収だったとか、

そんな過去の話ではない。

 

営業ができるということは、

過去の話ではなく、

今現在使命を達成出来る、

ということである。

達成出来なければ、

営業の能力が無い、

ということである。

 

営業は、

上(じょう)でなければ下(げ)である。

中(ちゅう)は無い。

 

状況の判断が遅い、

ということは致命的であり、

打開する発想も構築も無いということは、

救えない、

というべきである。

 

鈍いということは、

生存本能の欠落、

最悪です。

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わたしの常識で変だ

とおもう業法の解釈は

大半間違っている

 

法の解釈は

法律家によって

2分されることが多い

 

判決により

一方の法律家が勝ち

一方の法律家が負ける

 

上級審によって

逆転することも

頻繁にある

 

専門家でも

間違うわけですから

アマチュアは

判断のとき

謙虚でなければ

いけない

 

解釈は

沢山あるわけですから

自信と謙虚の両面から

判断にのぞむことが

大切です

 

自信と謙虚は

相反してはいない

自信がなければ

謙虚にはなれない

 

謙虚でなければ

自信は単に

愚かという