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官僚機構

責任の所在を明確にするというのは官僚機構では難しいし、みんな曖昧にしていますよね。あとは人身御供的に誰かをばっさりやって後は知らない振りをするであるとかね。

民間でもそういう傾向が全くないという会社はないんじゃないかな。みんな責任からは隠れたがるし、逃れたがる。言い訳は言いたいしね。だから色んな問題が発生する度に、そこのメンバーが自分の問題として考えない。組織の問題としては考えるけれど、自分の問題として考えない。自分にとってどうなのか、自分に罪があったのか。やっぱり自分自身とどう向き合うかなんだよね。

コンプライアンス

コンプライアンスという言葉がよく使われます。社会保険庁の職員にとってのコンプライアンスとは何ぞやというものもあるけれど、そのことをほんとうに考えたことがある人はどれだけいるんでしょうか?

小学校の朝礼の話ではないけれど、法律は守らなければならない、罰則規定のない法律でも守らなければならないですね。でも罰則規定のない法律は守らない人が多い。歩行者が横断歩道じゃないところを歩いても罰金は取られないでしょ。そういう意味で法律をすべて守って生きている人というのは、ほんとうにいるのでしょうか。どこかでみんな、これはたいしたことじゃないから守らなくて良いだとかがあるわけです。赤信号でも車がこなきゃ渡っても良いだとかね。昔、大企業の社長さんにこういわれたことがあります。「佐々木くん、青信号は目をつぶって渡れ。黄色信号は注意して渡れ。赤信号は左右を見て車が来てなかったら渡って良い。そういう意味だよ。」って。(笑)法律の解釈も色々あるもんです。無論、車だったら間違いなく御用だけれどね。

例えば、サウナなんかで「使った物は元にあったところに戻しましょう」ということを大きく書いてありますけれど、多くの人は戻してないよね。「サウナの中でタオルは絞らないで下さい」と書いてあっても、平気で絞るし。それは法律ではないかもしれないけれど、それによって損害を被った、それによって中のサウナのシステムが故障したとかになると、損害賠償という話になるのでどこかで法律とは関わっています。その辺は微妙ではあるけれど。勤務時間に私用電話することは法令遵守に違反するのかとかも。

だからコンプライアンスとか横文字の言葉を好きな人は、自分は適当に法律を破って他人にはちゃんと守れよって声を大にして言いたい人ではないでしょうか。

結局、多くの人は法律をどこかで守る法律と守らない法律とに線引きしているわけですよね。だから殴りたい人間がいれば殴れば良い。その代わり留置所に入らなければならないだけです。だから解ってやる分には交換条件ですよね。善か悪かじゃなくて、やったらこうなりますよ、という話だと思っています。

つまり法令遵守ということは、そういうことと向き合って身体を懸けて判断するものだと思います。自分自身の肉体を懸けて、その法律を守るのか守らないのかを決めるべきであって、そうではないところにコンプライアンスという言葉はいらないと思う。

生き方=?

学生のことを考えると、就職活動で10社も20社も面接に行くでしょ。一生懸命練習して、企業説明会に出席して、内定をいっぱいもらって、3年で辞める。大体、学生が選ぶ企業は10年経つとダメになっていることは多いよね。私の感想だけれど、学生は外的な要件によって自分が変わると思っているんじゃないのかな。「自分の生き方」=自分の栄光あるいはその反対とがある、という風に考えている人は少ないでしょう。外的な要件で…という考え方は、本末転倒という気がします。やはり友人との付き合い方、本との付き合い方、映画との付き合い方、恋愛の仕方。それらがイコールで自分の人生に直接影響をしてどこに勤めるとかじゃない、と考える方が全うだと思うけれど。

今の若い人はそういう意識が薄いんだと思う。会社に入ってから、自分が思っていたのと違う。そして3年で辞める。自分に原因を求めるのではなくて、相手に原因を求めちゃう。それで転々とする。自己啓発もせず自分の見識も変わらず、相手だけが変わっていくという傾向ですね。

企業文化3

―佐々木さんにとって企業文化とは何ですか?

僕にとっては、僕そのものです。何かの危機があったときの、対処の仕方、対処の方向性です。例えば、会社が潰れそうになった時の為に、社員に常々高額な生命保険を掛けておいて、必要な時期が来たら、ちょっと泊まりで遊びに行ってこいよ、なんていう会社もあったけれど、それはそれで一つの企業文化なんじゃないかな。(笑)

企業文化によっては何が何でも長生きしようということもあるかもしれないし、そんなに長生きするもんじゃないよというのもあるかもしれない、という文化もあるかもしれない。

色々なかたちはあるのだろうけれど、僕にとっては僕の仕事の仕方、友人との付き合い方、飯の食い方含めて、そのものが企業文化です。

企業文化2

例えば、官庁の厳密な指導下にある組織では官庁がメインになってくるし。下手すると中枢が天下りにでやってくる。やっぱりそういう背景がある組織の文化というのは違うものですよね。私のように22歳からフルコミッションでやってきて、小さな会社を創ってやっていると、生存するか死滅するかという感覚が、そういう官庁系の組織とは180°違うんでしょうね。あり得ない話ですが、仮に私のような経歴をもつ人がそういう企業に勤めても、今までの私の生と死の有り様という感覚を捨てないとやっていけないよね。生と死をぴりぴり感じながらやっていくようなのと同じ感覚でやろうとしても、すぐにつま弾きされてアウトでしょう。ぴりぴりした感覚を捨てて、幼稚園に入りたてのようにならないとやっていけない、と私は考えています。逆もまた真なり。結果は出せないし、結果の出し方からしてそもそも違います。

文化が違うわけだから。やっぱり昔から言うけれど「郷に入らば郷に従え」です。文化というのは突然変異的に偶発的に生まれるわけではなくて、必然として生まれるわけです。なぜそういった文化が必然でそこにあるのかという背景を納得できるくらい理解できなければ、その世界では生きていけない。