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焼き物がわかるということは、

よいとか本物とかが、

わかることではなく、

躰がふるえることだ。

 

何年か前に、楽家何百年展、というのを観た。

代々続いたけれど、ついに長次郎を超えられた人はいない。当代の吉左衛門は高い値段で取引されているようだけれど、まったくよいとは思わない。長次郎というより利休なのだと思う。利休がなければ長次郎はなかった。長次郎に拮抗するのは光悦である。光悦長次郎を毎年観ているように思う。

 

楽家450年展を開催中であると若い友人が教えてくれた。吉左衛門は嫌いだが、光悦と長次郎に会いに行こうと思う。

ついでにひとこと

卯の花墻

鬼ヶ島

紫匂い

ならべて同時に会いたいものだ、

と常々思っている。

ちなみに、

国宝に指定されている日本で焼かれた茶碗は、卯の花墻と光悦の不二山の2碗のみである。

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10年くらい前、岐阜の粘土屋さんの親爺さんに、アマチュアに土を売ると、土が可哀想だ、と言われた。唐九郎さんも、周海さんも、懇意にしていたそうである。

数年ぶりにロクロをまわし、藁を巻き付けて、焼いた。アマチュアが焼き物をする、ということは、どういうことか。

有邦さんを見たのは、素山展の、お兄さんのまことさんとの対談であった。

有邦さんの作品をはじめて見たのは日本橋の壺中居、10年くらい前である。次は数年前、虎ノ門の智美術館。今回、生まれてくるもの、智美術館。めまいがするほど、うつくしい。あやしさをとおりこして、美しい。

焼き物をするのがイヤになった。

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良い焼き物に、

出会ったりすると、

あっ、自分が居る、

と思ってしまう。

長次郎でも、

魯山人でも、

唐九郎でも、

そう思ってしまう。

懐かしい自分に、

出会ったような気分に、

なってしまう。

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加藤唐九郎さんの本は、

辞典以外は、

全部読んでいると思うけれど、

70才のころ、

三越のライオンの前で、

小学生のころの初恋の人と、

逢引をした、

という話は知らなかった。

茶碗

焼物もやっぱりいいものを観ないとダメですよ。中途半端なものじゃダメなんです。

国宝クラスのものがでるとだいたい観に行っているんですけれど、ぞくぞくっとするものがあるんですよ。