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デザイン、思想と技術

建築家は自分の図面と実際に作った建築の中で自分の思想を確認しているんだろうね。しかし、「デザインは思想の結果に過ぎない」くらい言っている人はいないのかな。そういう風にいう人がいてもおかしくないよね。一つの切り口として、包括的に真理を代弁する必要もないんだし

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ストーリーをつくり

プレゼンをするだけでは

一流とは云えない。

相手の考え、価値観、ストーリーを察知し、

理解できなければ、

一流とは云えない。

自分に都合の良いストーリーをつくるのではなく、

相手のストーリーに乗れるのでなければ、

一流とは云えない。

駆け引きをする営業は、

相手に見破られ軽蔑されるから、

一流とは云えない。

子供のこと2

大切なことは子供と一対一で話し合い子供はどうしたいのかを聴くことであると思う。

子供の希望通りにした場合、どのようになるかを、嘘をつかずに二人で話し合うことである。それで良いのか、ということを2人で謙虚に話し合うことである。その結果、ティーンエイジャーであり自分の人生でもあるのだから、どのようにすべきかを自分で判断させることが重要であると思う。親がその判断を否定することは人格の否定となり誤りであると思う。ティーンエイジャーは自分の判断によって失敗する権利を有し、結果について責任をとる義務があります。

親としてできることは、子供とキチンとした対話をすることです。子供が対話にキチンとつきあってもらえるようなつきあい方を普段から行っているか否かです。子供が自分の人格を尊重してくれていると思っていれば対話につきあってくれると思います。ティーンエイジャーは何をすべきかを全て知っています。自分のことは棚にあげているけれど大人の尊敬すべき部分と軽蔑すべき部分を大人以上に鋭く観察していると思います。

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<報告連絡相談の目的>

処理案について云えば、処理の方法、及び結果について、上司が一切の不満も無く満足できることを目的とする。

<報告連絡相談の原則>

処理案について100%の確信があり、かつ自分の権限の範囲であったとしても、上司が懸念を有する可能性が無いとは云えない事案

<報告連絡相談の禁句>

例えば、『報告した筈です。』を禁句とする。何故なら、上司に問題のある事柄として明確には報告されておらず、上司は満足していないからである。

*子供のこと1

強制労働も強制勉強も人格の否定につながる。

労働を拒否してルンペンになることが悪いこととは思わない。

虫歯になって歯が抜け落ちてもよいから歯を磨かないということであればそれはそれで本人の選択である。

宿題をせず勉強をせず学校を退学させられることが悪いことと思わない。宿題をしない子が高校にゆかず労働者になることも悪いことと思わない。人は生き方を選択する権利がある。勉強もせず労働者になることもいやだという人はルンペンになるしかない。

勉強もせず労働者にもならずルンペンになるのもいやだという人を家においておく親は、最悪の親である。

どのようにすればどのようになるのかを子供と話し合い、子供と共通認識を持てる親は良い親である。大人に都合の良い行為を子供に対し子供の考えも聞かず一方的に強制する親は良い親だとは思わない。

子供は、自分で決定する権利と失敗から学ぶ権利を持つ。人は失敗からのみ学ぶことが出来る。学べない人もいるけれど学ぶチャンスを奪ってはいけない。