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8-3. 火災 (5)

また防火地域、あるいは準防火地域以外の地区地域で法22条地域と呼ばれるものがあります。これは防火や準防火ほど規制が厳しくはないものの、その区域内の建物の外壁や軒天を延焼の恐れのある部分を防火構造として、屋根は不燃材で葺くように定めるものです。
ここで出てくる防火構造というものは、火災に対して30分以上の耐力があるものとされています。
またここで材料に関する話が出てきます。ここでは不燃材となっていますが、その他に準不燃材と難燃材というものが存在します。これらは読んで字の如く、素材が燃えないかどうかというところが材料としての判断の分かれ目で、通常の火災時に20分以上燃焼しないものが不燃材、10分で準不燃材、5分で難燃材というのが目安です。具体的な材料としては、不燃材はガラスやコンクリート、石などで、準不燃材は石膏ボードや木毛セメント板など、難燃材では難燃合板などが挙げられます。それぞれ建設省の告示で材料が定められている他、材料ごとに必要な性能を充たしているとのことで認定を取得することが出来ます。

8-3. 火災 (4)

建物を耐火建築物にするには、「主要構造部が耐火構造である」こと、及び「外壁の開口部の延焼の恐れのある部分については防火戸あるいは防火設備とする」ことが要件となっています。
建築物の「主要構造部」は柱、梁、床、屋根、壁などを指していて、「耐火構造」であることは通常の火災時に非損傷性と延焼防止の性能を備えていて、要するに火災時に内部にいる人が避難を終えるまで建物として持ちこたえられるような構造になっていれば良いということです。具体的にはそれぞれの部位とその位置について、何時間の耐火性能があるかという規定がされていて、それぞれの場所に適切な耐火被覆などを施さなくてはならないということになります。
また「延焼の恐れのある部分」というのは隣地境界、または道路中心線から地上階3mあるいは2階以上は5mの距離の範囲内にある場所を指し、その範囲にある開口部については規定の構造としなければならず、サッシュの材料、厚さやサイズ、ガラスの種類などが定められています。これはあくまでも防火(隣地から火をもらわない)という考え方で、耐火という考え方とは違うのですが、それでも耐火建築物の要件に含まれています。

8-3. 火災 (3)

これら江戸時代に火事が起こった時の消火活動は水をかけて火を消火すること以外に、燃え広がらないように被災している建物の周囲の建物を破壊してしまうということがありました。現代においてはさすがに隣接した建物を破壊するということはありませんが、そこにあるアイディアとしては隣りにある火はもらわないようにするということです。
建築基準法では火災に対しては柱となる2つの考え方があるように思います。1つは防火、つまり火をもらわない様な建物の作りにしておくこと。2点目は耐火、火災が起こったときすぐに燃え尽きてしまわないで、中にいる人が逃げられるようにしておくということです。これら2つのアイディアは完全に独立しておらず、よく混乱するので、これらを順に整理して考えてみます。
防火に関する条項として、都市計画的な視点からの防火地域、あるいは準防火地域という地域地区の指定があります。これは建物が密集している地域に関して、建物が燃え広がらないようにしましょうということで指定されている地域地区と考えて良いでしょう。これらの地域に指定されている敷地においては小規模な建物を除き耐火建築物あるいは準耐火建築物にしなければならないという規定です。ここで早速、耐火建築物という考え方が出てきました。

8-3. 火災 (2)

明暦の大火災では江戸の大半が焼失したといわれ、江戸城の天守閣もこのときに無くなり、そのとき以来再建されていないとのことです。お堀で街からは隔てられたお城の天守閣が燃えるということなので、相当な火の勢いだったでしょう。

図8-3-1:明暦の火災

図8-3-1:明暦の火災

現在では考えられない様な火災の広がり方が伝えられていますが、一部の身分の高い人のお屋敷を除いて、瓦葺きよりも恐らく茅葺きや杮葺きのような植物を屋根に載せているようなつくりの建物が多かったでしょうし、当時は人口も過密してきて殆ど建物間の距離もとられずに建てられているように思います。当然、構造は木造だったでしょう。この明暦の火災の前、80日間ほど雨が降っていない様な非常に乾燥した状態で、そこに北西の風も強かったといいます。大火災に成る可くしてなったといっても過言ではない状況だったようです。
この火災は江戸時代初期に発生したものでしたが、その後も何度も大火に見舞われているとはいえ、ここまでの被害は出ていません。それまでの江戸は戦国時代の流れの中で軍事的なことを前提とした、つまり都市防衛などを考慮した都市計画とされていたようですが、この明暦の火災を機に新たな都市計画の下に江戸を復興させたとのことです。また、これを機に消防制度も変わって、自主的な防火組織が組まれたりもしたようです。

8-3. 火災 (1)

8. オフィスビルの法律

日本の建築基準法は主に建物の安全性や性能を担保するために定められている法令です。景観法や風致地区といった類いの条例は建物の周辺との関係の中の美観という観点から建物を規制するものですが、その他はもっぱら建物の性能を規定するものと言えるでしょう。古くから恐ろしい災害は順に「地震、雷、火事、オヤジ」などと言われたものですが、「オヤジ」を除く3つは建物の安全を担保するために考慮されている要素です。(「オヤジ」が建物の安全に対してどのように働いているかはナゾですが…。)雷は屋上に避雷針設備を設置するという設備的な対応で満足していると考えています。地震に対しては、もっぱら建物の構造上の対応が主だと思います。力学的なところは建築基準法上でも位置づけられていますが、今回のテーマはもう1つの火事、火災にスポットを当てたいと思います。
そもそも「火事と喧嘩は江戸の華」というくらいに昔は頻繁に火災が起こったものでした。明暦の大火災といった教科書でも習う様な大きな火災は、死者数が推定10万人とも言われるくらいの甚大な被害がもたらされています。当時の町方(今でいう市街地でしょうか。)の推定人口が30万人弱と言う説がありますので、その3分の1の死者数が出たとすれば、それは壮絶な火災です。