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6-2. 椅子 (4)

(筆者は必ずしもそうは思いませんが…)ヨーロッパの中世美術と言えば、紋切り型に「暗黒時代」と呼ばれます。即ち、古代ギリシア、ローマが到達した1つの頂点が継続することなく、(キリスト教を受け入れることによって??)素朴な表現に還っているからです。その後の時代がルネッサンス(再生)と呼ばれるのは、その前段として中世の時代があるからです。
椅子については、前述のklismos chairが1つのタイプとしての到達点でした。中世のあいだ、建築様式で言えばロマネスクやゴシックなどがみられる時代ですが、椅子についてはゴシック建築がモチーフとなった装飾の椅子が散見されます。

図6-2-7:Gothic Chair

図6-2-7:Gothic Chair

しかし、当時の美術が写実的ではないということからも、これらの家具が実際に当時に製作されたかどうかは定かではありません。19世紀にゴシック・リヴァイヴァルもあったので、その際に生み出された意匠である可能性も高いからです。美術からは読み取れないものが、当時の貴族の生活の記録から考察はできます。というのは、「彼らは小規模な生産力しかない農村を経済的な基盤にしていたから食料の確保のために消費者たる彼らの方が生産地を渡りあるかねばならなかったこと」(*)と「たえず戦争を繰り返していたこと」(*)から、住居は質素なもので1つの広間からなり、家具もそのライフスタイルに合わせて簡単に持ち運べるモノであったようです。
(*『「もの」の詩学 家具、建築、都市のレトリック』多木浩二著、岩波書店)

6-2. 椅子 (3)

椅子がパピルスに描かれている場面は、概ね王や女王といったような権力を暗示する人々が座っているので、即ち王権、権力を象徴するモノとしての椅子という解釈ができます。一方で古代ギリシアまで時代が下ると、陶器や建築のレリーフなどに椅子が描かれていて、その様子を見ると必ずしも権力を象徴しているようには見えません。恐らくこの時代には、椅子が玉座から、より一般的な人々が座るための椅子にシフトしたのだと思われます。

図6-2-4:Greek Chair

図6-2-4:Greek Chair

図6-2-5:Klismos Chairのレリーフ

図6-2-5:Klismos Chairのレリーフ

ところで古代ギリシアに見られるこれらの椅子のデザインは概ね似通ったものです。4本足は横からみると前後にπの字を描くように反り、背もたれは背中のラインに沿ってカーブした板を後ろ足から連続した立上がり部分で支えています。このような椅子はKlismos Chairと呼ばれ、古代ギリシアの家具のデザインの記録が残っている希有な例です。18世紀に建築や家具デザインに新古典主義(ネオ・クラシシズム)が流行った時には多くのデザイナーに参照されて、様々なパタンのKlismos Chairがつくられました。

図6-2-6:Klismos Chairのレプリカ

図6-2-6:Klismos Chairのレプリカ

6-2. 椅子 (2)

このように日本では馴染みの薄かった椅子ですが、世界の文明に目を移せば人類と椅子は長い付き合いがあることが分かります。紀元前3000年辺りから始まっているエジプト文明の時代のパピルスに、既に明らかな椅子の表現があります。

図6-2-2:パピルス

図6-2-2:パピルス

上図は右に女王と思われる人が座っていて、左の面々は彼女に従属する女官だと思われます。この時には椅子は権力を象徴する玉座として機能し、皆より高い位置に置かれます。楽な姿勢で上から人々を見下ろすという位置関係は、そのまま身分の位置関係も象徴しています。また描かれた椅子は単なる台ということではなく、背もたれが付いているものです。
また、下図はエジプトの玉座のレプリカの写真ですが、背もたれだけでなく肘掛けも付いており、いかにも椅子らしい姿形をしています。現在の我々が見ても即座に「椅子」と認識できるものですが、過去5000年に渡って椅子というもののタイプはあまり大きく変化していないということだと思います。

図6-2-3:Sitamun Chair

図6-2-3:Sitamun Chair

6-2. 椅子 (1)

6. オフィスの設え

あけましておめでとうございます。本年の連載も引き続きよろしくお引き立て頂ければと思います。
2014年、1回目のトピックは「オフィスビルの設え」として「椅子」をテーマにします。6−1では机について考察しましたが、オフィス内ではそのセットとなる椅子についてです。今回もまずはオフィスという枠を外して、椅子そのものの歴史から見ていきたいと思います。
日本では長らく床座の文化であったことから、椅子の歴史はあまり長くないようですし、椅子が存在はしていたものの、あまり普及はしていなかったようです。現在でも時代劇などを見ていると出てくる、床几(しょうぎ)が折り畳み可能な携帯用の椅子として利用されていたようです。これは古墳時代の出土品からも発掘されているとのことです。

図6-2-1:床几

図6-2-1:床几

また面白いエピソードがあります。19世紀の半ば、ロシア使節プチャーチンの秘書として日本を訪れたゴンチャロフがその著書『日本渡航記』に記したところによれば、ロシアと日本政府の要人が会談する際にまず床座にするか椅子座にするかが話し合われた。そして、ロシア人が畳の上に5分と座れなかったのと同様に、日本人が椅子の上に5分と座れなかったとのことです。姿勢というものは面白いもので、その人の日常が否応なく表れるシーンだということですね。

4-3. トイレ (15)

言うまでもなく、日本ではトイレを和式と洋式と呼ぶように、日本に元々在った便器の形式は床に便器があってしゃがみ込んで使用するものでした。このような形式は日本だけでなく、アジア、中近東、アフリカにも見られる形式です。そもそも何もないところで(例えば、野外で)用を足すとすれば、しゃがみ込む仕方が人間の姿勢として最も自然なのでしょう。ただし便器の形は様々でどちらが前か後ろか分からないものも多く、間違えてしまうと便器の外に落としてしまうこともあったりします。個室の扉に入って、扉を背にするか、扉に向かって座るかという違いもありますし、ホースが付いていてウォシュレットのように水でお尻を洗うといったトイレ、また水を流すのもタンクがあってスイッチがあるのではなくて、自分でバケツに水を汲んで流すといったものなど、場所によってほんとうに多様です。
世界のどこであっても人がいるところには欠かせないトイレは。このように時間的、地理的な多様性があり、洋式便所のグローバル化の一方で、人の生理的な営みの一部ということもありローカルな特色も依然として生き続けています。特に日本の場合は、洋式便器を受け入れる一方でウォシュレットという日本独自のシステムを組み込みました。その様な欧米文化に対する姿勢が、これまた日本的であると言える面白い事例だと言えるでしょう。