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葬式のはなし

身近な人間の葬式というと、私が25歳の時に親友が銀座8丁目のビルの屋上から飛び降りて死んだのが最初でした。その時に葬式とは彼を失って悲しいと思う人が集まることなんだと思いました。

あと悲しいなと思ったのは母方のおばあさんが死んだ時でした。おばあさんとは小さな頃からずっと一緒に暮らしていたから。ずっと一緒だったから、おばあさんに育てられた部分がかなりあります。おばあさんはリウマチで骨が曲がって動けなくなって、赤十字の病院に入院していたけれど、何年かして亡くなりました。その時には死んだ顔を見に行って、葬式には出なかった。私は生きているうちにはきちんと付き合ったから、葬式は出なくていいでしょう。ちゃんと付き合わなかった人だけ出ればいいってね。(笑)

できることなら家族の葬式には出たくないですね。

納まり

年間何十棟もやっている建築家だとなかなか厳しいですよね。名前が残る作品は難しい。

昔に木造をいっぱいやっている建築家の作品を見に行ったけれど、やっぱり納まりで露呈しちゃうんですよね。納まりが納まっていない、見ていられないんですよ。平面のプランとかファサードとかのデザインの良し悪しはきりがないけれど、納まりだけは誰がやっても一緒で、良いか悪いかが分かります。納まりが悪いというのは中学生の木工クラブ並みで、見ていると寂しくなりますよ。(笑)100棟も200棟もやっていると、そういうところは気にならなくなるんでしょうね。緊張感が緩む。寂しいけれど、仕方が無いよね。

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勝つ人の定義

1.自分のミスを発見できる人であり、かつ、自分のミスを減らす強い意欲を持つ人である。

2.自分の顕在能力の不足を発見できる人であり、かつ、自分の潜在能力を強く信じることができる人である。

負ける人の定義

1.自分のミスを発見できず、従って、自分のミスを減らす強い意欲を持つ必要のない人である。

2.自分の顕在能力の不足を発見できず、従って、自分の潜在能力を強く信じる必要のない人である。

官僚機構

責任の所在を明確にするというのは官僚機構では難しいし、みんな曖昧にしていますよね。あとは人身御供的に誰かをばっさりやって後は知らない振りをするであるとかね。

民間でもそういう傾向が全くないという会社はないんじゃないかな。みんな責任からは隠れたがるし、逃れたがる。言い訳は言いたいしね。だから色んな問題が発生する度に、そこのメンバーが自分の問題として考えない。組織の問題としては考えるけれど、自分の問題として考えない。自分にとってどうなのか、自分に罪があったのか。やっぱり自分自身とどう向き合うかなんだよね。

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ビリーホリデーを聴く。

布団にくるまって

アメリカンスピリットを吸いながら聴く。

フコーな女の歌を聞く。

求められた部分と

求められなかった部分を聴く。