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5-8. コンクリート (5)

フランクリン街のアパートは1903年に建てられました。19世紀末から20世紀初頭のこの時期は歴史主義が一段落して、ヴィクトール・オルタやエクトール・ギマールなどに代表される動植物をモチーフとして多用したアール・ヌーヴォーや幾何学のグラフィカルな構成を好むアール・デコが流行った時代です。ペレのこのフランクリン街のアパートメントでも外壁部分には花柄やドット柄をタイルで表現したりして、装飾的な当時の風潮を反映しています。

図5-8-5:ノートルダム・デュ・ランシーの教会

図5-8-5:ノートルダム・デュ・ランシーの教会

フランクリン街のアパートメントから20年後の1923年になりますが、もう1つの代表作であるノートルダム・デュ・ランシーの教会が竣工しています。パリの北東郊外のランシーに建てられた教会ですが、こちらも同じくRC造でできています。オーソドックスな教会の構成の通り、向かって正面を見て天井高が高い身廊の両側に少し低めの側廊があるという構成は守っていますが、なんといっても外壁が全てコンクリートを枠にしたステンドグラスとなっていることが最大の特徴です。外壁を壁と窓で構成するのではなくて、全てが窓のように、かつカラフルな光に満たされる極めて美しい空間を獲得しています。またこの空間を成立させているのは、壁構造ではなくて柱梁構造で屋根架構を支えるということがはっきりと意図されていることです。外壁側に落ちる柱はステンドグラスの外壁からは少し内側に入れることで、外壁のステンドグラスを連続させています。このようにほっそりとして高さのあるRCの柱が出来るのは、フランスでは地震の横力を考慮していないからです。日本では現在でもやりたくても出来ない架構です。

5-8. コンクリート (4)

先述の通り、鉄筋コンクリートを考案したジョセフ・モニエは植木鉢のために、そしてそれを建築用の技術にまで高めて建物を実現したフランソワ・エンビックなどはあくまでもエンジニアだったため、建築意匠における鉄筋コンクリートの可能性を提示したとは言えません。そのような意味で建築意匠において鉄筋コンクリートの価値を見いだした最初期の建築家の1人がオーギュスト・ペレ[August Perret]です。

図5-8-4:フランクリン街のアパートメント

図5-8-4:フランクリン街のアパートメント

パリ16区、エッフェル塔を対岸に臨むシャイヨー宮の脇にrue Benjamin Franklin すなわちフランクリン街があります。前面道路の向かいにはシャイヨー宮の一部である国立海洋博物館の庭が広がっており、急な勾配の坂の先にはセーヌ川が流れています。南東向きにファサードが面しているこの建物はこの好立地を最大限に享受しようということだと思います。向かって左側の階高の高い建物に階高を合わせて調整し、RC造ならではの開口部の大きさを獲得しています。前面道路から引っ込む形で正面中央部を逆ボウ・ウィンドウのようにボリュームを操作して、南東ファサード向きのガラス面をさらに大きくしています。このように組積造の建物を両隣に挟んでみると、RC造の柱梁の組合せがとても軽快に出来るということが相対的に見て取れます。

5-8. コンクリート (3)

図5-8-3:パンテオン

図5-8-3:パンテオン

パンテオンの場合は直径43.2mの円形平面にコンクリート製の円筒及びドーム型の屋根が架けられており、床から天井高さも43.2mという、ローマ建築らしいオーバースケールの建物となっています。これだけの構造物を成立させるのに工夫がなされていて、円筒部分の基礎から2階までを3種類、天蓋部分も3種類の合計6層でコンクリートを打ち分けていて、骨材の種類を変えることで上にいくに従って軽くなるような作り方をしています。断面的にも基礎部分の壁厚が6mにもなる一方で、天蓋の頂上付近では1.5m程度だそうで、このような一見単純かに見えるような建物も、その巨大さを成立させるための様々な技術的な工夫が施されていることが分かります。
コンクリートについては、引き続きローマ帝国の版図では建築されることもあったようですが、西ローマ帝国の崩壊とともにコンクリート製の建築物も忘れられたようです。ローマが終わり中世に入ると文化的な衰退が始まったと言われるのは世の通説ですが、コンクリート建築物についても一旦は時代から忘れ去られたということです。文化的には13世紀頃からルネサンスが始まり、ローマの栄華が再び盛り上がるような言われ方がしますが、コンクリートの場合はその後1300年の時を経て、再び日の目を見るのは先述の通り、19世紀の中頃になってからのことだったようです。

5-8. コンクリート (2)

さてここで一旦、鉄筋コンクリートが発明される19世紀以前のコンクリートについて俯瞰しておきます。
RCではなくてコンクリートだけで考えた時には、実は古代の時点でコンクリート製建築物は存在しています。最も有名で完璧な姿で残っているのはローマのパンテオンです。

図5-8-2:パンテオン

図5-8-2:パンテオン

現代で一般的に使用しているコンクリートにはポルトランド・セメントと呼ばれ、工業的に生産されているものです。アルカリ性になる化学反応によって結合しており、それが炭酸化し表面から中性化することで徐々に強度を失います。一方でローマンコンクリートと呼ばれる古代ローマで使われていたものは、固化する成分がアルカリ性ではなく、カルシウムをあまり含まないので酸に強く、耐久性が非常に長いと言われています。古代ローマの建築ではパンテオン以外にも、コロッセオなども古代コンクリートによって作られていて、今なお現存しています。
施工方法は現代と同じで型枠を組みそこにコンクリートを充填していくというやり方だったそうですが、現代との違いは粗骨材や細骨材がモルタルと混ぜられた状態で型枠に流されるのではなくて、骨材を予め型枠に入れておいてそこにモルタルを流し込んで、空気抜き、締固めを行っていたそうです。また壁の場合には型枠に石やレンガを用いて、コンクリート打設後は型枠を外さずにそのまま仕上げとして扱っていたとのことです。また天井の場合は型枠が石やレンガというわけにはいかないので、木型枠で打設し、その後型枠を外して、打ち放しのままあるいはスタッコや石張りとして仕上げるということをしていたとのことです。

5-8. コンクリート (1)

5.オフィスビルの素材

前回まで長々と鉄に関しての稿を続けてきましたが、今回からもうひとつの主たる構造材であるコンクリートについて筆を進めたいと思います。
現代で建物の構造に使われているコンクリートは主に鉄筋コンクリートで、コンクリートの中に鉄筋を入れて補強したものです。そもそもコンクリートとは砂利や砂をセメントで固めたものをさしますが、その力学的特性は圧縮力には強いものの引張り方向には脆いという欠点があります。そこで鉄筋をコンクリートの中に入れることで引張りにも強くしたものが鉄筋コンクリート(RC)と呼ばれるものです。これは19世紀中頃にフランス人の庭師であるジョセフ・モニエがそれまで粘度などで作っていた鉢が成長する根によって破壊されないように強力な鉢が必要だという時に、セメントを鉄で補強したものが始まりだと言われています。その後、橋梁や建築物に転用できるように研究が重ねられ、エンジニアであるフランソワ・エンビック[Francois Hennebique]が1893年にパリに建てた建物が世界初の鉄筋コンクリート造の建築物であると言われています。建築家はリヨネ・エデュアルド・アーノルド[Lyonnais Edouard Arnaud]というあまり知られていない人です。

図5-8-1:1 rue Danton

図5-8-1:1 rue Danton

この建物は特別な名称が与えられておらず単に[1 rue Danton]の建物と言われています。構造的な技術革新はあったものの建築意匠的には当時の歴史主義的な意匠の延長線上にあります。それ故、初のRC造建築物に関わらず建築史の中でもあまり注目を浴びてはいません。とはいえ、当時の組積造の建築物と比較して考えたら、柱のスパンが大きく飛ばせるので、2階部分のアーチ状の開口部が大きくとられて、ガラス面の多い開放的な建物と出来ているということは注目に値します。