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5-4. カーペット (8)

先の「貴婦人と一角獣」は15世紀末にフランスで発注されてフランドルで織られたと書きましたが、その後1615年にはManufacture de la Savonnerie(石けん工場の跡地につくられたので「石けん工場」という意味)がパリのセーヌ河岸、現在のパレ・ド・トーキョー付近に建設され、カーペットやタピスリーが生産されるようになりました。設立者の一人であるピエール・デュポンはトルコを旅行してその際に学んだ技術を持ち帰り、”ルヴァン風ヴェルヴェットカーペット”の生産に成功しました。その後、各世代のフランス王、アンリ4世、ルイ13世、ルイ14世らによる国家的な後押しによって大いに発展し、フォンテーヌブローやヴェルサイユといった居城の床や壁を彩っていたようです。

図5-4-7:フォンテーヌブローの寝室

図5-4-7:フォンテーヌブローの寝室

ところで全ての織物に言えることは、染めの関係で織物工場は水辺にある必要があります。Manufacture de la Savonnerieは当初はセーヌ河岸にありましたが、組織を改編するようなかたちで、1826年には同じくパリ市内のゴブラン[Goblins]に移動しています。ゴブランにもゴブラン織りと呼ばれる織物が生産されていて、その歴史は16001年まで遡ります。現在も5区にゴブランという地名があり、工場が残っています。現在は暗渠化されていますが、以前はBievreと呼ばれるセーヌに流れ込む小さな川があり、その川の水を当てにして織物がつくられていました。

5-4. カーペット (7)

図5-4-6:貴婦人と一角獣「視覚」」

図5-4-6:貴婦人と一角獣「視覚」

これら「貴婦人と一角獣」は中世美術館に展示されているので製作年代が中世かと思いきや、1484年から1500年にかけてフランドルで織られているそうです。15世紀末にはイタリアでは既にルネサンスが隆盛を極めていて、1485年にボッティッチェリが「ヴィーナスの誕生」を描き、16世紀に入ったあたりにはミケランジェロが「ダビデ」像を作っているような時代です。フランスでの本格的なルネサンスの到来はフランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに迎え入れた1516年以降と位置づけられています。このような周辺国との関係を考えると、芸術的には少し流行からは遅れているとも言えるフランス芸術の中で、ルネサンスが到来する直前の15世紀末ということで中世美術館に展示されているのでしょう。
ところでこのタペストリーの発注者は、タペストリー内に描かれている紋章からフランスリヨンの貴族、ル・ヴィスト家だとされています。しかし先述の通り、製作されたのは上述の通りフランドル地方です。当時のフランドルは紡績産業の一大拠点だったようで、輸出入も多く行われていたこともあり、イタリアと並ぶルネサンス芸術が発展した地として知られています。「アルノフィーニ夫妻の肖像」で有名なファン・アイクやヴァン・デル・ヴェイデン、メムリンクなど多くのルネサンスの画家が誕生している地です。つまり技術的なレベルではルネサンスの水準まで達している地で製作されたものの、発注元であるフランスにおける中世的な主題を描いた、というその組合せがうまく作品として昇華されたのでしょう。

5-4. カーペット (6)

このように権威を象徴するような使われ方をしていたカーペットあるいはタペストリーですが、抽象的な文様から離れて具体的に物語を示すような織物になると、床に使われる[tapis]というよりも壁にかけて室内を装飾する[tapisterie]として作られたものが多いような気がします。多くの場合、当時の絵画のモチーフといえば、キリスト教の聖人や高貴な人の肖像だったりするので、それらを床に敷いて踏みつけるということが適切でないと考えられたのかも知れません。
あるいはただ使い方の差から、現存するものが壁にかけるものの方が状態が良いということもあるかも知れません。

図5-4-5:貴婦人と一角獣「私の唯一の願い」

図5-4-5:貴婦人と一角獣「私の唯一の願い」

何はともあれ、世界中で最も有名なタペストリーは上図の作品だと思われます。2013年の春から夏にかけて国立新美術館に展示されていた「貴婦人と一角獣」(正式には[La dame à la licorne])は、普段はパリのクリュニー中世美術館に展示されているものです。6枚のタペストリーの連作として織られていて、それぞれ「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」「触覚」という5感を5枚で象徴していて、残りの1枚は「私の唯一の願い」というタイトルがつけられています。(その「願い」の解釈が定まっていなくて、この作品の議論となるのですが、ここでは割愛。)

5-4. カーペット (5)

このようにカーペットそのものは先史時代から存在していたと推定されますが、実際のところどのように使われていたかをみるには、そのものが現存することもさることながら、それが絵画などに描かれていると当時の様子が分かるものです。

図5-4-3:ジャン・ドゥ・ブシコの時禱書

図5-4-3:ジャン・ドゥ・ブシコの時禱書

時禱書とは中世の装飾画本でキリスト教の聖務日課を記したもので、上図のものは1408年頃に描かれたとされています。右手にいる将軍がサン・カトリーヌに祈りを捧げている場面です。ルネサンス以前のフランドルの絵画では度々、重要な人物が大きく描かれて、重要度が低い人物は、実際はどうあれ相対的に小さく描かれます。つまりこの絵において、サン・カトリーヌは祈る対象であり、絵の主題であるということですが、彼女の背後には天蓋まで連続するタペストリーの装飾がされることによって、彼女の立場を象徴しています。(足元には絨緞ではなくクッションが置かれています。)ところでこのタピストリー[tapestry]という言葉は英語ですが、フランス語で言うところの[tapisserie]です。カーペットのことは[tapis]ですので、つまり床に使われるか、壁に掛けられるかによって言い方を少し変えているだけで、モノとしては同じものです。絵に戻りますが、祈る将軍の方にはtapisもtapisserieもありません。
当時としてはこのようなカーペットは相当高価なもので王侯貴族しか手に入れることは出来なかったでしょう。そのような品は宝飾類と同じく、彼らの権威を象徴するものとなっていることが想像されます。その象徴的な例が下図です。

図5-4-4:Jean Fouquet

図5-4-4:Jean Fouquet

15世紀のフランス人画家Jean Fouquetが1286年6月5日にイギリス王エドワード1世がフランス王フィリップ4世に謁見した際の場面を描いたものです。室内を覆い尽くすのは青字にユリの紋章を金糸で織り込まれたフランス王家を象徴する織物です。そこで跪くエドワード1世はこのときに領有を争っていたアキテーヌとガスコーニュの領主となるものの、フランス王に臣従するという和睦がなされています。ここではカーペットおよびタペストリーが明らかにフランス王家の権威を象徴して、そこに包まれるエドワード1世という構図が成り立っています。

5-4. カーペット (4)

カーペットの歴史の最古の頃から産地は西アジアだったようですが、今でもペルシア絨緞という言葉があるほど、長い間、カーペットといえば西アジアで作られるものが多かったようです。特にイスラム教が誕生した7世紀以降は偶像崇拝が禁止されたこともあって、イスラム社会が絵画や彫刻といった芸術から、織物や陶芸といった工芸品の上に幾何学模様を発達させていったということは、カーペットの発展の理由の1つだと思われます。そしてシルクロードが東西の世界を繋いでいた時代に、その道の要所で織られたカーペットが2つの方向に輸出されるにうってつけの商品だったことは想像に難くありません。
(TVで特集もされていましたが)先日行われた京都の祇園祭で山鉾と呼ばれる山車が、昔からカーペットで飾られていますが、あれも17世紀にポーランドを経て(故にポロネーズ絨緞と呼ばれる)オランダ経由で鎖国中の日本に入ってきた商品が、いつの頃からか祇園祭の山鉾を飾るものとなっています。

図5-4-2:山鉾

図5-4-2:山鉾