考えるということ

考えなくて済むということは安心してしまいます。どこかで安心しているんですよ、恐らく。僕の場合だと本を読んでいても、何をやっていても、気になることがある時は考えてしまいます。特に本を読んでいる時は悲惨で、文字を追っかけているのだけれど、頭の中に全く入って来ないですよね。(笑)うんざりするんですよ、それで考えを打ち消してもう一度読もうとしても、また駄目なんですよね。

結局、考えるということについて私が思うのは、さあ考えましょうと言ってテキストや参考書を開く。それで計算して答えを出す。これは考えた内に入りません。それは単なる処理です。インプットすれば誰でもできる。CPUで演算すれば誰でもいいわけです。

考えるというのはそうではなく、そこででた答えがもしかしたら違っているかもしれない、そもそも前提から。そういうことが気になって仕方がなくて、本を読んでいても、電車に乗っていても、考えようとしなくても、眠っていても、頭の中に入ってきちゃう。これが本当の人間にとっての考えるということであって、先の例は考えるという言語に値しない、それが僕の考えです。だいたい何かを発明するときにも、夢の中で発明するなんていうことをよく聞きますよね。会社を一歩でたら会社のことを思い浮かばないという人は、間違いなく仕事ができないと思います。世間から一定の評価を受けるような創造的な素晴らしい仕事は絶対にできないですよね。

だから考えるということに対して、もっと不安を持って欲しいんですよね。不安がないからコミュニケーションが雑になってきて、何の問題も感じなくなっちゃう。