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福田さんのこと

ポイントは民主党と話し合いによって議会を運営できると考えたことですね。戦略を間違えたんだと思います。

いいもの

やっぱりモノは一番いいやつを見なきゃ駄目なんだよ。その辺のものを買って喜んでちゃダメで、一番いいものを見て歩かないと。博物館とかオークションとかね。オークションなら3千万の茶碗でさえ手に取って観れるからね。

特に茶碗なんかは、ガラス越しに観るのと、直接観るのと、手に取って観るのとじゃ違うわけです。もちろん手に取って観るのと、実際にお茶を飲むのとは違うわけだよ。そして本当にいいモノを観ないと分からないんだよね。なんだってそうなんだろうけれど、例えばワインだっていいものを知ってこそ初めて他のワインが分かるからね。

千羽鶴

私が焼物に興味を持ったきっかけは川端康成の「千羽鶴」なんです。私は2回以上読むことはほとんどなくて、5冊くらいかな。この本は何回も読みました。この小説には志野の筒茶碗が出てくるんだよ、細長い冬用の冷めにくい茶碗です。一方で夏茶碗というのは口が広い平べったいものです。

太田夫人という登場人物には愛人がいたのだけれど死んでしまって、その男の息子と円覚寺でお茶会があった時に会うんだよね。そのときに婦人の娘が締めていた帯が千羽鶴の柄なんだけれど、夫人はその息子とも関係をもって、志野の茶碗をあげるんだよ。で、男が「あなたは抱かれている時に父と私の区分けがついているのですか」と聞くと、「残酷なことをおっしゃるのね。」と言う。筒茶碗の口のところに、口紅がついたような微かな赤みが付いているんだよね。とても古い茶碗なのだけれど、どんな人がそれでお茶を飲んだんだろうとか連想するんだよ。その後、太田夫人は自殺しちゃって、その娘が「その茶碗を返してくれないか」と訪ねてくるんだよ。その理由は同じ手のもので他に良い茶碗はいくらでもある。もしより良い茶碗を持った時に、母の茶碗を思い出されたら嫌だって。

よく分かるなあと思って。それで志野に興味を持ったんだよね。

作家のレベル

ハードボイルドや刑事もの、探偵ものだとかの中間小説を読んでいると、この主人公はなんて知能が低いんだってよく思うんですよね。僕ならばこうは思わないということがしょっちゅうです。

 ―それは結局は作者のレベルじゃないですか。(本橋)

主人公と作者の知能のレベルはイコールだと思うんだよね。もっと違うように思いようがあるだろって腹が立ってくる。でも、大沢在昌さんの「新宿鮫」とかはいいね。これは読んでいて不愉快にならないけれど、そういう本は少ないね。

母の強さ

女性は子供を産むと強くなるよね、肉体的にも健康になるし。女性はやっぱり子供を産むと、すべてが有機的に繋がるように機能するんだよ。子供を産むまではある器官とそこと繋がるべき脳細胞も休んでいて。子供を産んで初めて肉体的にも精神的にも繋がるんじゃないかな。

女性はやっぱり、男ができて変わる、籍を入れて変わる、子供が生まれて変わる、子供が就職して・卒業して変わる、最後は男が定年になって変わる、それで熟年離婚で終わり。(笑)女は5回変わるんだよね。

女は子供が生まれたら強くなるし、母性はやっぱり強い。母と子のことを親子って言うんだろうね。父っていうのは親じゃない、最初の他人みたいなもんだよ。

一卵性共同幻想だね、これは。