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差別と区別

難しいよね、差別と区別のベツは。日本人は~、朝鮮人は~、アメリカ人は~、フランス人は~、と言うけれど、悪い意味合いで使うと差別になるのかな。

 ―人類の歴史を振り返ってみると、社会的には常に階層がある差別の歴史とも言えますよね。やはりすごく近現代的な考え方だと思います、差別してはいけないというのは。(本橋)

やっぱり差別というのは、差別する側の生存本能なんでしょう。ある種の拒否反応なんだろうね。

差別のはなし

BSでカナダの小学校の低学年のクラスでの実験を観ました。

先生がこう言うんです、「調査の結果、背が小さい人の方が優秀だと分かった。基準は130cmです。」黒板に130cmのラインを描いて「君は130cm以下だから、該当。君はそれ以上だからあっち。」それで130cm以下の人は優秀だから優遇する、休み時間を長くとっていいとか。そうすると、背が小さい方の子が背が高い方の子を差別するんですよね。でもその中で何人かの子は「先生、間違っている。背が高くても優秀な人はいます。背が低くても優秀でない人もいる。先生の言うことは合理的じゃない。」って言うんですよ。6歳くらいの子がだよ。

その日、小さい子は先に帰っていいということになって、大きい子は残るわけです。その子たちにはこれが実験だということを伝えて、ただし明日一日だけ黙っていてくれ、ということにしました。次の日、「教育委員会から電話がかかってきて、先生は間違っていた。背が高い子の方が優秀だ。オリンピックでも何でも背が高い人が出ている。」と言うんですよ。そうするとまた、何かきっかけがあると差別が始まるんですよ。

しかし、その中でもおかしいって言える子がいることにも感心したね、6歳だよ。日本の子にもいるんだろうか。

建築基準法

昭和46年に建築基準法は変わりました。次に変わったのは昭和56年。その度に構造の規定が厳しくなっています。それでは昭和46年以前のものが、地震があって壊れるかと言われれば、全くそんなことないんですよね。それでは新耐震のものが壊れないで、旧耐震のものが壊れるかと言われれば、同じ地域であれば同じように壊れてる。

特にビジネスホテルなんかは最も構造的には強いよね。箱が均等に並ぶわけだから。どちらかが重いとかいう歪みもないし。均等に地震の揺れを受けるわけですよね。それでも算式でアプローチするわけです。

食品偽装表示問題を通じて

商売って何が何でも稼ごうと思えば、下品にならざるを得ない。場合によっては、悪いことをしなくちゃいけないこともあるかもしれないし。無論、悪い方向に行く場合には、「そんなに悪いことではないだろう」という風に本人の感覚や判断基準を軌道修正していくんでしょうね。例えば最近の食品関係の偽装表示問題も、僕が経営者側の立場に立ったときに「ああいうことを私は絶対にしない」という自信はないよね。そういうことをする前の状態が赤字スレスレで従業員にボーナスも払えない、給与も上げられない、設備の修繕の費用も出ない。でもああいうことをすれば、ボーナスを払えて、給与も上げられる、工場も衛生的に出来るとなった時に、あれをやらないでいられるかは自信がないよね。そういう背景、立場に立った時に本当にしないでいられる人間は、どの位いるんだろうか。

一方的にあれを批判する人は、その立場に立ったら何の疑問もなくやるでしょうね。自分について疑問をもたない、ものを考える習慣が無いということでしょうか。

だからいろんな事件が起こる度に、その立場に立っても自分がしないでいられるか、というのはいつもわたしは不安に思うよね。

汚職のはなし

 昔聞いたことがあるのが、国に関連する企業に賄賂を渡すのに、千円札を包んでたということを聞いたことがあります。結局、小銭だと受け取るらしくて、大金には手を付けないようです。それも最初は500円だったものが、少しずつ千円、二千円、五千円ってエスカレートしていくようです。人間の感性っておかしいよね、それなら受け取るらしい。

 汚職って大体、後進国ほど多いようですね。ある新聞の読者の投書で読んだのですが、車の性能の審査があって日本車は運輸省がやっていたようです。随分と前のことのようですが、審査の後には高級料亭へ行くのが習わしだったそうです。それに対して疑問を持った人が一人もいなかった。でも外車の場合は一切ダメだったって。いくら誘っても、食事に行くことは出来なかったそうです。