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4-10. アトリウム (5)

さてここで現代日本のアトリウムに戻りたいと思います。冒頭にも書きましたが、都心における大型再開発がなされた場合に、このアトリウムはクリシェ化していると言っても過言ではないでしょう。また逆に大型の再開発以外でアトリウムという建築言語を用いるのはごく一部の例ではないでしょうか。この原因は偏に制度上の枠組みにあるといっても良いでしょう。
建築基準法上には総合設計制度という容積率を割り増しすることができる制度が謳われています。容積率の割り増しは不動産投資としては非常に大きなメリットとなりますが、一方で公開空地という一般の人々が敷地内に入れるような空地を公に公開して、良好な市街地形成に貢献するといったことが条件となっています。この総合設計制度においてアトリウムが公開空地の1つとして位置づけられています。大型の再開発の場合は低層部に商業施設を併せて配置するのは常套手段ですから、セキュリティ上、外部の人も入れることを前提となっている商業施設とアトリウムをセットにして敷地内に配置することで、再開発において高層部分の容積率を稼いでいるという仕組みです。
このアトリウムと商業施設のセットは制度上の要請から一義的に決まってきている部分もあり、本来的にそれが良好な市街地形成に寄与しているかどうかというところは怪しい点ではあります。また、古代ローマから存在するアトリウムの空間的な価値も制度から離れたところで再考させられるような建築作品があれば良いな、と筆者は個人的に考えています。

4-10. アトリウム (4)

現代では目にすることのあるアトリウムという場所ですが、前回の修道院の例をアトリウムでないとすれば、初期キリスト教以来、アトリウムはしばらくその存在は忘れられていたのかもしれません。しかし、産業革命が起こり、鉄とガラスが博覧会建築をきっかけとして一般建築にも使用されるようになってきた19世紀、中庭のような大空間をガラス屋根で覆うということがなされるようになりました。先述の通り、ポンペイの発掘が18世紀に始まっていますから、その頃には間違いなく古代ローマの意味でのアトリウムという場所の認識はできていたでしょう。このガラス屋根のインテリア空間に対する名前として、古代ローマの「アトリウム」という言葉が空間的にも用途的にも近いのではないかということで充てがわれたのではないでしょうか。

図4-10-5:Helifax Town Hall

図4-10-5:Helifax Town Hall

現代の日本では例えばwikipediaには「ガラスやアクリルパネルなど光を通す材質の屋根で覆われた大規模な空間のこと」と定義されており、古代ローマの時の応接的な用途や中庭であることなどは定義の枠組みから外れ、「ガラス屋根の大空間」というのが一義的になってきているようです。一方でエントランス空間の1つの形式であるという認識は残っているようにも思います。

4-10. アトリウム (3)

古代ローマのアトリウムがバシリカ型の初期キリスト教会に形を変えて残りましたが、その後はアトリウムがなくなって現在でもよく見る十字架平面の教会へと形を変えていきました。一方で13世紀に成立したドミニコ会など一部の修道院建築では教会の礼拝堂に回廊が付随しているものが度々みられ、これは初期キリスト教会のアトリウムの名残ではないかと考えています。というのは、ルネサンス期となり、ルネサンス(再生)の言葉が示すように古代ギリシアおよび古代ローマに関する研究が盛んに行われたことで、建築の様式としても参照できるようになったのではないかと思われます。(但し、ポンペイの遺跡は18世紀から発掘が始まったようで、現代のような知識はなかったと予想されますが。)また、修道院というと修道士がその場所で生活も送るということで、アトリウムを中心に諸室が配列されるドムスの形式が修道院というビルディングタイプと重なるということも考えられます。
※以上は筆者の個人的な解釈で、建築史の通説ではないと思われますので悪しからず。

4-10. アトリウム (2)

図4-10-3:古代ローマアトリウム

図4-10-3:古代ローマアトリウム

古代ローマのドムスにおいて、アトリウムは最も重要な場所として位置づけられていたといいます。床は大理石で仕上げられて、スペースを広く見せるためにあまりモノはおかないようにしていたそうです。アトリウムの上部は勾配屋根が架けられていて、プレロマンの時代にはその屋根の勾配は内側に向いていたとのこと。(上図は19世紀ポンペイのアトリウムを描いたもの。屋根の勾配が外に向かって低くなっているので、プレロマン以降の形式と考えられる。)アトリウムの真中には[impluvium]と呼ばれる水盤がおかれ、屋根から落ちてくる雨水をその水盤に溜めるという仕組みだったようです。南イタリアの気候を考えれば水の確保というのは重要な課題で、以前にも書きましたが、古代ローマが長期間にわたって繁栄した1つの理由は水道が整備されたことだと言います。水道に加えて、このような雨水の確保といったような水対策がきちんと考えられていたという事だと思われます。
古代ローマ時代はバシリカにもアトリウムが付設されていたこともあり、バシリカを原型としたその後のキリスト教会建築にも当初はアトリウムが付いていたようです。現在でもよく見られる教会のファサードの手前に中庭を囲むかたちで回廊が廻るもので、現在でもイタリアの幾つかの教会で残されています。

図4-10-4:サンクレメンテ教会

図4-10-4:サンクレメンテ教会

4-10. アトリウム (1)

4. オフィスビルの部分

大型の開発などで建てられる超高層ビルにはエントランス部分にアトリウム[atrium]と呼ばれるガラスの大空間が設置されていることがあります。アトリウムといえばまさにガラス屋根の大空間というイメージですが、言葉としてはラテン語で古代ローマ時代からあるようです。

図4-10-1:現代のアトリウム

図4-10-1:現代のアトリウム

ラテン語でアトリウムは「開かれた中央の中庭」を意味していて、古代ローマの住宅(ドムス=[domus])の主要な部分を占めるものでした。ドムスは古代ローマの中・上流階級の市民が住む都市住宅で、外的の侵入を拒むために表の通りには出入口のドアしか開口部は無く、残りの部分は壁だったといいます。武家屋敷に塀が廻っていて、門のところだけ出入りできるというイメージで良いでしょうか。外壁に対して採光がないということで、住居内に天窓がついた中庭を取ることで採光、通風を確保したのでしょう。下図によれば、玄関(vestibulum)を通って最初に入る場所が中庭になっており、そこがアトリウムと呼ばれていたようです。

図4-10-2:ドムス

図4-10-2:ドムス

都市住宅ということを考えると日本の町家の形式との類似を見出しても良いでしょうか。間口は狭く奥行きが長い平面に対して、採光と通風を得るために中庭を適宜配していくという形式です。客を歓待するという用途的な意味では違いますが、空間構成としては近いイメージをもっても良いでしょうか。