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4-7. カーテンウォール (5)

カーテンウォールの素材はガラスだけではないということを先に述べていました。現在では殆ど見られませんが、レンガによるカーテンウォールというのも、19世紀につくられています。2002年に世界遺産にも登録された、フランスのパリ郊外にあるムニエ[Meunier]のチョコレート工場です。

図4-7-7:ムニエのチョコレート工場

図4-7-7:ムニエのチョコレート工場

19世紀の当時は産業革命の流れの中で登場した資本家が郊外に広大の敷地の中に工場群をつくり始めていた時代です。ムニエのチョコレートのオーナー、ジャン・アントワンヌ・ブルータス・ムニエ[Jean Antoine Brutus Menier]は、このチョコレート工場の建物とともにエッフェルの設計の倉庫やカテドラルと呼ばれる建物もつくっています。(カテドラルといってもカカオとミルクを混ぜてチョコレートにする場所だったようで、それがチョコレートにとって神聖な行為なので、こういうネーミングなのだと思われます。)
またギースのファミリステールが有名ですが、資本家達は工場だけでなくそこで働く人々のための住宅を中心とした福利厚生施設にも力を入れていました。工場を中心とした都市計画と言えば良いでしょうか。このチョコレート工場では138の住棟に312の住戸が入った住宅地を建設しました。2つの世界大戦の間の時期には伴侶を戦争で失った女性の働き口として、ムニエで働いていたとのことです。

4-7. カーテンウォール (4)

話を戻しますが、現在のカーテンウォールに通づる最古の例としてクリスタルパレスが挙げられることが多いと書きましたが、実際には1834~1836年に建設されたとされるパリの植物園の温室の方が古い例と言えます。

図4-7-6:メキシカン温室

図4-7-6:メキシカン温室

「メキシカン」と呼ばれるこの建物はRohault de Fleuryという建築家が設計したもので、名前の通り中南米の植物を生育するためのものでした。温室というビルディングタイプが明らかに建築物としては扱われず、話題性も低かったために、大きな議論にもならず、最古の例として忘れられてしまっているのかもしれません。一方でクリスタルパレスは万国博覧会で衆目に晒されていて、規模も大きく、ビルディングタイプとしてもより曖昧で位置づけが難しかったので、より大きく取り上げられたのでしょう。 クリスタルパレスは万博が終了後に解体され、その後再建されましたが、それも火災に見舞われて消失し、その後は再び再建されることはありませんでした。一方でメキシカンの方は現在でも当時のままの姿で、また当時のままの用途で、現在でもパリ市民に親しまれています。

4-7. カーテンウォール (3)

18世紀中頃にはカーテンウォールの原型とも言えそうなものが作られていましたが、実際に現代のカーテンウォールの潮流の元と言えるモノは、19世紀まで時代が下ります。カーテンウォールの歴史を調べると、その初めのものとて取り上げられるのは1851年のロンドン万国博覧会で建設されたクリスタルパレスです。

図4-7-5:クリスタルパレス

図4-7-5:クリスタルパレス

前稿で西洋の建築物の多くは壁構造であったことを書きまたが、産業革命以降鉄を製錬する技術が向上し、18世紀末から鉄橋など土木構造物に鉄が使われるようになり、19世紀に入り博覧会の建造物でも鉄が構造材として使われるようになってきました。
ところで今、建築物ではなくて「建造物」と書いたのは、当時はクリスタルパレスのようなビルディングタイプの建物は建築物として認められていなかったからです。建築物といえば、宮殿であったり、宗教的な施設であったり、それまでに存在していたビルディングタイプのものでした。産業革命や市民革命以降、美術館や図書館、駅や工場といった新しいビルディングタイプが求められるようになり、それらは既存の様式を流用する形で対応することが殆んどでした。
一方でこのように鉄で構造物が出来るようになっても、まずは橋などの土木構造物に利用され、また既存のビルディングタイプではなくて、どのように扱えば良いか曖昧な新しいビルディングタイプに利用されました。その最たる例がクリスタルパレスでした。 鉄の架構のみならず、ガラスのカーテンウォールによる極めて高い透明感も、当時の既存の建築物とは余りにも違いすぎたために、建築物とは認め辛い様相だったのでしょう。

4-7. カーテンウォール (2)

そもそも歴史的に、日本建築においては木造が主たる構造形式だったので、柱梁による架構を組んで、外壁が板戸や砂壁の様な軽いモノで作られるということはさほど驚くべきことでもありませんでした。一方で西洋建築においては、石や煉瓦による組積造の建物が主流だったので、外壁が分厚く、重たいことは当たり前でしたし、それに伴って窓も小さいものでした。石よりも木が建材としてより広く使われていた北欧やスイスなどでも,ログハウスのようなものは木の組積造と考えて良いですし、柱梁の架構形式にしていたとしても、冬の厳しい気候への配慮から壁を分厚くつくって、十分な断熱性能を確保するということがなされていました。

図4-7-3:北欧の木造教会

図4-7-3:北欧の木造教会

このように壁に建物の荷重を伝達する構造形式は、構造材として鉄や鉄筋コンクリートが使われるようになるまで、長い間繰り返されて来た形式です。壁が荷重を支えているために当然カーテンウォールの様なことは出来ませんでした。
もっとも荷重を外壁に担わせるのを止めたからといって、建物に外壁の必要がなくなる訳ではありません。今度は主構造にぶら下げられる、軽い素材で外壁をつくる必要があります。窓の素材としてガラスが古くから存在していたことは、「5-1. ガラス」の稿でも触れていますが、そのガラスをサポートするための枠、アルミや鉄で枠がつくれない当時は木製しか選択肢がありませんでしたが、カーテンウォールをつくれる様な十分に大きく育った木は西欧においては中世以来不足していたといわれています。
直接的にそのせいかどうかは定かではありませんが、世界最初のガラスのカーテンウォールは18世紀にオスマン帝国で作られたといわれています。下記の写真はそのオスマン帝国のものではありませんが、ルーマニアのブカレストに残っているもので、きっと近い様な形で世界最初のガラスカーテンウォールも製作されたものと推測されます。

図4-7-4:ブカレストの木製ガラスカーテンウォール

図4-7-4:ブカレストの木製ガラスカーテンウォール

4-7. カーテンウォール (1)

4. オフィスビルの部分

前回に壁について書きましたが、建物の外観については閉じた部分が壁とするならば、開いている部分は開口部です。開口部には大まかに扉と窓、あるいはガラスのカーテンウォールの様な場合も開口部という扱いになります。

図4-7-1:バウハウス・デッサウ

図4-7-1:バウハウス・デッサウ

カーテンウォールというのは、組積造のように自重とその他の建物の荷重を外壁が伝えるのではなくて、建物の躯体の荷重は受けない、非耐力壁の外壁です。名称もそうですが、カーテンのように躯体からぶら下がっている壁である、と考えれば良いでしょうか。一般的にカーテンウォールといえばガラス張りの建物を想像するかと思いますが、PCやALC板のカーテンウォールもあります。有名な例で言えば、東京都庁舎の外観はPC板のカーテンウォールで構成されています。

図4-7-2:都庁舎

図4-7-2:都庁舎

まずはいつも通り、どのようにしてカーテンウォールができてきたかという変遷から辿りたいと思います。