4-3. トイレ (9)

長い間水洗便所がなかったというのは日本も同様です。筆者(32歳)も幼少の頃、祖父母の家が汲取式便所で、その穴に落ちやしないかと恐怖していたのを今でも記憶しています。ちなみに私の祖父母の家は川崎にあったのですが、まだそれ程、都市部でも下水道が整備されていなかったのでしょう。下図は神奈川県の下水道普及率の推移です。

図4-3-6:神奈川県の下水道普及率

図4-3-6:神奈川県の下水道普及率

私が記憶しているのは昭和60年代でしょうから、その当時で50%も満たなかったわけです。現在では神奈川県では96.1%とほぼ全戸に下水道が普及している状態ですが、未だに人口の少ない市区町村にいくほど、普及率は低くなる傾向があります。
このように日本も長らく、水洗ではなく汲取式の便所だったのですが、かといって西洋のように不衛生な都市だったかと言えばそうではありません。江戸時代初期には15万人程度と言われている江戸は、江戸時代中頃(18世紀頃)となると百万人程の都市に成長していたと言われ、その当時のロンドンやパリと比較しても相当の規模の都市で一説には世界一の人口だったそうです。人が集まればその排泄物が問題になってきたのは今までに書いたとおりですが、江戸では人が出した下肥(屎尿)は農家が買い取る商品となっていて、代金として野菜などを置いていったようです。貸家が多かった江戸では下肥は大家のものと見なされていたようで、大家がそこから得る収入は相当な金額だったと言われます。もしかすると、その分、借主は同時に高額商品を生産するということで、家賃はとても安かったのかも知れません。時によっては農民が下肥の高騰に対して一揆を起こしたこともあったようです。

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