7-1. 熱環境 (3)

兼好法師の『徒然草』とより前の時代には鴨長明が『方丈記』において、自らが住む庵(小屋、東屋)について、そのつくりを具体的に書いています。
「ここに、六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを結べることあり。言はば旅人の一夜の宿を作り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。これを中ごろの栖に並ぶれば、また、百分が一に及ばず。とかく言ふほどに齢は歳々に高く栖は折々に狭し。その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて作らず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継ぎ目ごとに掛け金を掛けたり。もし心にかなはぬことあらば、やすくほかへ移さむがためなり。その改め作ること、いくばくの煩ひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途いらず。
いま日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて障子を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢を掛き、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。未申に竹のつり棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌・管弦・往生要集ごときの抄物を入れたり。傍らに琴、琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶、これなり。仮の庵のありやう、かくのごとし。」
ざっと建物の概要をみてみると…、
「歳をとって終の住処で生活しているが、往年の100分の1にも及ばない。年を取るほど家は狭くなり、世間一般のものにも満たない。広さはわずかに方丈(4畳半)で、高さは7尺(約2.1m)以内である。土台を組み、簡単な屋根を葺いて、継ぎ目に掛け金をかけてある。不都合があれば簡単に移せるように、車2台で積めてしまう。東に3尺(約90cm)余りの庇をさして、南側には竹の簀子を垂らし…」
といった風に、まさにその後『徒然草』で書かれる様な涼しげな家を超えて、寒々しいあばら屋を思い浮かべることが出来ます。
四季が美しい日本ですが、夏の暑さは遥か昔から厳しかったのでしょう。冬が厳しい欧州の建築は石を積んで堅く閉じることを旨としていますが、日本を含めて東アジア、東南アジアの開放的な、風通しの良い建築は、やはり夏の暑さに如何に対応するかということが主眼におかれていたのでしょう。

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