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現在は因幡町という名称はなくなっていますが、1923年の関東大震災によってこの地域一帯は全て火災によって消失してしまったために、震災復興に伴って1931年に「宝町」という町名に改称されています。その後、1978年には再び改称されて、以前から存在していた京橋という地名に統合されて現在まで続いています。ちなみに鍛冶橋通りと昭和通りの交差点にある都営浅草線宝町駅の「宝町」という名称はこの1931-1978年に存在した住所に由来しています。
また、1978年に宝町から京橋に再び改称されたのは、1962年に成立した「住居表示に関する法律」に単を発しています。不動産登記などではよく目にする「地名・地番」は旧来、一般的な住所と同じように使われていました。しかし、町界が道路と一致していなかったり、地番も整然としていなかったようで、実際にはかなり不便なこともあったようです。そこで「地名・地番」とは独立した新しい規則をベースに住所を整理しましょう、というのがこの「住居表示に関する法律」だそうです。一方で「地名・地番」についても地域によっては「地番整理」といって分かりやすいように地番を付け直している場所もあるそうです。本敷地も地名上も宝町ではなく、京橋2丁目となっているので、地番整理が行われたということが分かります。

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